想いをかたちに二宮くん
※翔潤です
…ああ。やばい。
足元に見えるデジタルの数字につい声が漏れた。
最近なんだかやけにスーツのウエストがきつく感じるようになって、久しぶりに体重計に乗って見たら少し増えていて。…少しね。うん。
体重管理ができないやつは仕事もできないが自論の俺としては、これは由々しき事態。
早急に対処しなければならない事案のトップに躍り出たわけだけれど、そこで問題がひとつ。
それはこの体重増加の原因にある。
俺の最近できた恋人は駅前にある人気のパン屋の店員でパン職人。
こいつが作るパンがまじで美味くて、俺はその製作者と、その長くて細い指から作り出されるパンにがっちりと心も胃袋も掴まれている。
思えばあいつに初めて会った時も、すげえいい匂いがするなと思ったんだった。
シャンプーや香水の匂いとも違う。
甘いような香ばしいような。なんとも言えない香りがほんのりと香ってきて、まずそれに興味を惹かれた。
顔を見ればちょっと有り得ないくらいにキレイに整っていて、なおかつ興味対象も同じ。
偶然にも同じ本を手に取るなんてそんなベタな出会いをまさか自分がするとは思ってなかったけれど、これも何かの縁。
俺を見てほんのり顔を赤らめているこのキレイな男と、ここでこのまま別れるのは惜しいと声をかけた自分を褒めてやりたいと思うくらい今俺は幸せである。
その幸せの結果がこれなわけで。
幸せ太りを身をもって体験している今日この頃。
「翔さん。用意できたよー」
キッチンから俺を呼ぶ声が聞こえる。
わかったとひとつ返事を返して、忌々しい数字を表示するそれから足を降ろすと声の方へと向かった。
「今日はね。ちょっとすき焼きとパンを組み合わせてみたんだ」
朝から重いかなとは思ったんだけど、翔さんなら平気でしょ?
そう言って2人分のコーヒーを持ちながらテーブルへとやってくる。
「めっちゃ美味そうじゃん」
「へへ。結構自信あるんだよね」
焼きたてのいい匂いがするそれを早速手に取り頬張ると、すき焼きの甘辛い味と、それを包み込むふわふわの柔らかいパン生地とが合わさって口の中に広がる。
「美味いっ」
「ほんと?」
「うん、やばい。これめっちゃうめえ」
バクバクと口いっぱいに頬張る俺を潤が、良かったと嬉しそうににこにこ見ている。
翔さんってほんと食べさせがいがあるよねえ。
自分はスマートにコーヒーを口に運びながら、そんなことを言う。
「おまえは食べないの?」
「俺はこれ試作の時にいっぱい食べたから」
この生地のふわふわ感を出すのが難しかったんだよね。なんて言いながらまたコーヒーを啜る。
「じゃあもう一個俺が食べてもいい?」
「もちろん。翔さんのために持って帰ってきたんだから」
出会ってから潤はこうしてパンを俺にくれて。
最初は店に顔を出した俺にそっと袋を握らせ、次は食事に行った帰りに、朝ごはんにでもしてよとお土産を持たせてくれて、それを繰り返すうちに今はこうやって店で試作したパンを何個か持ち帰り朝に直接焼きたてを出してくれるまでになって。
俺を見つめるふわりと優しい笑顔と、食欲をそそる焼きたてのパンの香り。
そんな幸せな空気に包まれて俺は心も腹もいっぱいで食事を終えた。
「今日は相葉くんと大野さんのとこだっけ?」
「ああ。次の新作の原稿の進み具合を確認しに。潤は?」
「俺は休みだから、図書館にでも行こうかな」
「そっか。二宮くんによろしく」
行ってらっしゃいって玄関で見送ってくれる潤に軽いキスを落とすと、赤い顔した恋人に後ろ髪を引かれながら仕事へと向かう。
外に出れば風が少し冷たかったけど、俺の心の中はもうぬくぬく。
それもこれも全部潤のおかげ。
あいつはほんとに見かけの作り物のような冷たさからは考えられないくらい暖かいやつで、優しくて気遣いもできて、一生懸命で真面目で。
愛情を持って俺を見つめる目にはそれだけじゃなくて尊敬の色まで見えて。
翔さんかっこいいね。スーツが良く似合う。
さすが物知りだね。俺も翔さんに負けないように頑張らないと。
翔さん。翔さん。翔さん。
素直に真っ直ぐに俺を褒める言葉を口に出すあいつに俺は恥ずかしくも誇らしくて、そして少し…困る。
あいつはなんて言うか…、俺を美化しすぎてるきらいがある。ような気がする。
おしゃれなスーツをパリッと着こなし、仕事もバリバリとこなすスマートな俺。
確かにそこは目指すところではあるんだけど、現実の俺はそうでもないというか。
料理なんて食べる専門だし、部屋だって散らかり放題。スーツは着てりゃあいいから様にはなっても私服はというと…だし。今のところ仕事帰りに会うことが多いからなんとか誤魔化せてはいるけれど、それもそろそろ限界。
趣味という趣味が無い俺は、逆にぽっかり空いた時間をどう埋めていいのかもわからなくて、ギチギチのスケジュールを自分で詰めては、そんな自分に疲れ気味。
しかもこんなかっこ悪い俺をあいつに見せると嫌われるんじゃないかと、未だ部屋にも呼べないヘタレと来てる。
そもそも付き合い始めた時もそうだったんだよな。
二宮くんに煽られて焦って潤の元に行ったはいいものの、どういう関係?とか、仲良いんだねとか探りを入れることしかできないで、潤の方から、俺が好きなのは翔さんだよ、なんて言い出させる始末。
それを思えばとっくに俺のかっこ悪いところなんてバレてるんじゃないかとは思うんだけど、それでも好きなやつの前ではかっこつけたいと思うのが男なわけで。
せめて体型だけはと、少しきついくらいぴったりとしたウエストに居心地の悪さを覚えつつ、頭のスケジュールの中にジム通いの予定をこっそりと書き加えた。
「あれ?食べないの?」
また潤の家で迎えた朝。
焼きたてのパンの香りが漂う部屋の中で俺はコーヒーをちびりちびり。
「あ、うん、いや…」
「どうしたの?体調悪い?」
「いや、そういうわけじゃないけど…」
ちょっとしばらく朝はコーヒーだけにしようかなー、なんて…。
目を逸らしながらの俺の言葉に、…え、なんで?って戸惑う潤。
「いや、なんでっつーか…」
まさか体重を気にしてるなんて、そんな女子みたいな理由、かっこ悪くて言えないで言い淀む俺を見て、潤が…もしかしてって少し眉を下げる。
「ごめん、飽きた、よね?」
「へ?」
「そりゃそうだよね。こんな毎回パンばっかり。しかも試作品なんて翔さんに味見させるような真似して」
「いや…」
「ごめん、俺気付かなくて。翔さん喜んで食べてくれてるように見えたから俺、調子乗っちゃった」
ごめんねって申し訳なさそうに謝る潤に、いやいや、違うんだって。食べる、食べるからって言っても、気を使わないでいいよ、って少し悲しそうに笑う。
「…でも、ちょっと言って欲しかったな」
俺に気とかあんまり使って欲しくない、ってしょんぼりする潤に、だから違うんだってって。
ああ、もう。俺は何をやってるんだ。
恋人にはかっこ悪いところを見せたくないとかそんな理由でこいつ悲しませて、潤は全然悪くないのに謝らせて。
それが一番かっこ悪いじゃん。
「いや、ごめん。気を使ってるとかそういうんじゃなくて、その、ちょっと、…体重が…」
「え?」
「体重が、その、ちょっと増えて、だから」
ぼそぼそと呟くような俺の言葉に潤がきょとんとした顔をしてる。
ああもう、これ自体がかっこ悪い。
もっと普通に、太っちゃってさ、とか言えばいいのに、この期に及んでまだこんなふうな言い方しかできない自分が超絶かっこ悪い。
「え、っと。それは飽きたんじゃなくて、太ったからダイエットしてる、ってこと?」
「いや、うん、まあ」
「なにそれ」
なんだそれ、って完全に呆れたような潤の顔。
いや、うん。なんだそれだよね。俺もそう思う。
翔さん、そんなこと気にすんの?
続く言葉に、はい、そうです。そんな小さなことを気にするかっこ悪い人間なんです、俺は。なんてもはや開き直りとも取れる言葉を返す。
「なんだそれ…」
もう一度潤が呟いたと思ったら、次に聞こえてきたのはぷぷっと吹き出すような笑い声。
なにそれ。翔さん、可愛い。って、え?可愛い?かっこ悪いじゃなくて?
「翔さん、いっつも完璧だからさ。そんなこと気にするのとか意外だった」
「俺だって気にするよ、そんなの…」
「うん、だから意外で可愛いなって」
またそれを言い出せないとか。ふふ、言えばいいのに。なんで言わないの?ちょっと太ったから飯気をつけるわとか、簡単なことじゃん。翔さん面白い。ってくすくす笑い続ける潤。
「うるせえなぁ…。おまえが俺のことあまりにかっこいいとか言いすぎるから、そういうの見せにくいっていうか…」
「なんで?見せてよ」
俺、かっこいい翔さんも好きだけど、かっこ悪い翔さんも可愛くて好きだよ。
にっこり笑いながら臆面もなくそんな言葉を吐く潤に、今度は俺が、なんだそれって。
「だっていっつもピシッとしてる翔さんが俺だけにそんな顔見せてくれるんでしょ?嬉しいに決まってるよ」
「太ってても?」
「うん、太ってても」
美味しそうにバクバク飯食ってくれる翔さんが可愛いんだよね、なんてにこにこ笑ってる。
俺、その顔に完全に堕ちたようなもんだから。って、え?そうなの?
「うん、だからもっと色んな翔さん見せてよ。俺きっとどんな翔さんでも好きな自信あるよ」
ね?ってにっこり笑う潤に、…おう、なんて言葉しか出てこない俺。
編集者なんて言葉を扱う仕事してるくせに、なんでこんな時に気の利いた言葉のひとつも出てこないんだ、俺は。
…まあ、でも。そんな俺を潤は、可愛いねって言ってくれるからいい、のかな。
「じゃあこれどうする?食べる?食べない?というか、食べたい?食べたくない?」
「…食べたい」
「ふふ。うん、じゃあ食べよう」
食べた分だけ運動すればいいじゃん。
そう言って新しくコーヒーを入れ直してくれた潤に、実はもうジムに通おうと契約してきたんだよね、って言ったら、さすが翔さん。行動的だね、かっこいいって笑う。
…どこが?いや、もうおまえの基準わかんねえよ。
結局こいつは俺が何やってもかっこいいか可愛いしか言わないんだろうなあ、なんてちょっとした自信まで浮かんでくる。
だけど俺だって、おまえのこといっつもキレイだなとか、可愛いなって思ってんだからな。
…なんてことはヘタレの俺にはまだまだ言えそうにないけど。
「…翔さん、なにこれ」
もうカッコつけてても仕方ない。
そう思って初めて呼んだ俺んちのリビングに入った瞬間、潤が呟いた。
散らかりすぎじゃない?呆れたような声で言うそれに、え?そうかなあって。
「辛うじて足の踏み場はあるけどさあ…」
「だろ?」
「褒めてないよ」
「う、」
ダイニングテーブルの上には書類が散乱。
ソファの上には脱いだ服がたんまりと。
そこかしこに積まれた本の山。
キッチンは使わないからキレイだけど、その代わりシンクには昨日から置かれたままのコーヒーカップやグラスが何個か放置されてて。
やっべえ。危なかった。
格好はつけないと心に誓った俺だけど、さすがにこれはと、昨日片付けて俺なりにキレイになったと思った部屋に受ける容赦ないダメだし。
「で、でもこれでも何がどこにあるかちゃんとわかってんだからな」
凄くない?そういった俺に、うん凄いねって棒読みの返事。
ねえ、ちょっとおまえ、口調が二宮くんに似てきてない?
だけどなんだかんだ言っても、ねえ、これ俺が片付けてもいいの?なんてちゃんと俺にお伺い立ててくれちゃうところなんかはやっぱり気遣い屋でまじめな潤そのもの。
あれこれ2人で片付けてる間に、いつしか俺の呼び名が”翔さん”から”翔くん”に変わっていったのは、もしかして尊敬の念無くなってる?なんて思わなくもないけど、その声に混じる響きは何にも変わんない。
それに何より前よりぐっと距離が近付いた感じがするから、これはこれでアリだな、なんてほくそ笑む俺に、リビングとは打って変わってキレイに片付けられた寝室を覗かれ、呆れたような声で…翔くん、と言われるのは今から30分後の話で、その寝室のベッドの上で、甘く可愛く、…しょおくん、って俺を呼ぶのはそこから更に2時間ほど後の話。